TERUHIKO BLOGてるひこブログ

青年会議所

(公社)松山青年会議所 5月例会

2015-05-11 12:05

 『理事長挨拶』

5月10日(日)母の日、「お母ちゃん、いつもありがとう」!大黒座からはじまる46番札所浄瑠璃寺→47番札所八坂寺→八ツ塚群集古墳→文殊院にて、公益社団法人松山青年会議所 5月例会が輝かしく開催された。本日は四国地区協議会より川畑委員長率いるお遍路文化発信委員会メンバーの皆様のご参集の下、お遍路を体感・体験する5月例会を迎える・・・。そんな中、野口財政局長による「百花繚乱~信頼を築けるまちの花となれ~」の掛け声の下、輝かしく幕を開けたのであった・・・。

私からの挨拶後、5月例会行事に移り、島田委員長率いる歴史文化委員会メンバーによる『四国遍路発祥の地を訪ねて~遍路の里めぐり~』が行われた・・・。例会行事冒頭に島田委員長・船田幹事より趣旨説明が行われ、年間13万人が訪れる四国の誇るべきたからである「四国八十八ヶ所」の発祥の起源に迫り、JCメンバー一人ひとりに新たな気づきと松山のたからを再認識していただくことが伝えられた。その後、大黒座~浄瑠璃寺~八坂寺間~八ツ塚群集古墳~文殊院~大黒座の約6kmを実際に歩く体感お遍路が行われた。こうして、痛風の痛みを堪えながらの気づきと学びあふれる5月例会は幕を閉じたのであった。

本日は日曜日の大変お忙しい中、母の日の貴重な時間の中、公益社団法人松山青年会議所 5月例会に多くの皆様にご参加いただきまして、誠にありがとうございました。そして、本日の例会行事を設えていただきました島田委員長率いる歴史文化委員会メンバーの皆様、心から感謝申し上げます。本日の例会を通じて、JCメンバー一人ひとりが四国遍路の発祥の地を訪ねることで、本気・本音で四国遍路に向き合い、四国の地に住み暮らす者としての郷土愛を育み、遍路文化発展への意識を醸成することができました。これからも多くの知られざる松山の誇るべきたからと触れ合う機会がありますが、地域に最も頼られ必要とされる青年の団体として、まちとの信頼関係を構築するとともに、人と人、人と地域がつながる本気・本音の行動で前進していきたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

PS:川畑委員長、村井副委員長、宮崎委員、本日は大変お忙しい中、松山にお越しいただきまして誠にありがとうございました。今後とも天野副会長、W岡田委員を宜しくお願い致します。

 

 『出席優秀委員会の発表』

本日の5月例会出席優秀委員会は近藤委員長・宮内副委員長率いるひとづくり委員会でした。次月も引き続き、たくさんのメンバーに出会えることを楽しみにしております。誠におめでとうございました。

 『46番札所浄瑠璃寺』

708年に創建した46番札所浄瑠璃寺・・・。ご本尊は僧行基が刻んだ薬師如来で、寺号は薬師如来の別名瑠璃光如来である。本堂は1785年に再建され、当時の住職の堯音師は浄財を募り、岩屋寺から松山への8箇所に橋を造った。樹齢千年以上のイブキビャクシン、句碑「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺 子規」がある。中先達(三原 香 氏)より、お遍路の心得つひとつを丁寧に教えていただいた。

 『小椋副専務理事も仏足石を体験』

境内にそびえる樹齢約1,000年のイブキビャクシンの大木の下に安置されている仏足石・・・。素足で乗ると、延命、豊作にご利益があるとして、小椋副専務理事もこの機会に体験する。御利益があるといいですね。

 『47番札所八坂寺』

701年に創建した47番札所八坂寺・・・。伽藍を建てるにあたり、八ケ所の坂道を切り抜き、道をつけたことが寺号の由来。ご本尊は鎌倉時代の阿弥陀如来で、県の重要文化財として指定されており、お経を納める塔の宝筺印塔と、九重の層塔(現在六重)があり、ともに鎌倉時代のものである。ここでは実際に札所の参拝手順とともに、全員で読経してロウソク・線香に火を燈した・・・。札への願いに、「痛風祈願」と書かせてもらった。今現状の私の叫びです。

 『四国で2番目に古い道標石』

八坂寺を後にし、八ツ塚群集古墳に向けて歩いていたところ、ある道標石の前で立ち止まった・・・。それは、四国で2番目に古い道標石として知られ、1685年頃に造られたものである。1番古いものに残念ながら1ヶ月 遅れとなっていて、因みに1番古いのは高知県南国市の第29番札所 国分寺横にあるもので、元禄二年(1689)2月に造られたものである。歴史を感じる佇まいだ。

 『茶菓子のお接待』

歴史文化委員会プレゼンツの茶菓子のお接待が八ツ塚群集古墳前にて行われた。突然のサプライズにメンバー一人ひとりから思わず笑みがこぼれる・・・。

 『お遍路発祥の起源を知る』

八ツ塚群集古墳に訪れ、四国遍路の開祖といわれる衛門三郎の八人の子供弔ったと伝わる、八基の古墳を目の当たりにする。塚には小祠と石地蔵が祭られており、円墳と方墳があった。その後、 文殊院にて弘法大師が衛門三郎の子供の供養と共に、悪因縁切の御修法をなさった話を郷土史研究家 (大森 理 氏)から聴いた・・・。四国遍路元祖、河野衛門三郎の物語を知った。三原様、大森様、私たちの為に一日大変お世話になりました。

 『監事所見』

約6kmの道程を経て、再び大黒座に戻ってきた私たち・・・。岡田監事より監事所見を賜りました。これからも四国遍路の素晴らしい文化を大きく発信していただきたいことが伝えられました。今日の学びに感謝します。