2024年12月30日(月)22時4分にこの世を去った門屋 齊・・・。遺体とはなってしまったが、いつもの場所でいつも通りに年を越すことができた。年が変わり、辰の年から巳の年へと移った。いつも暖房をつけているはずの父と母の寝室は、ドライアイスと一緒の遺体の状況を考えて暖房なしで年末年始を過ごした母と姉・・・。生身で年を越すことができなかったが、嘸かし親父も普段通りの状態で年を越せ、新年の幕開けを共にできたことを嬉しく思っていることでしょう。場所を門屋邸から門屋組本社 七曲りホールに移し、株式会社門屋組・門屋家合同葬 通夜式及び告別式のすべてを執り行うことができた。連日お世話になった蓮華寺のご導師様をはじめ、葬儀委員長を務めていただいた株式会社伊予銀行 取締役会長(大塚 岩男)、正月休みを返上して連日連夜合同葬の運営に真摯に務めてもらった門屋組スタッフたち、私の想いを組んでいただき門屋組新社屋での葬儀に尽力を尽くしていただいたベルモニー会館様・・・。何よりも大変お忙しい中、ご参列いただいたすべての皆様に心から感謝を申し上げます。
告別式後の初七日を終えて、門屋組新社屋から出棺された親父は、火葬場にて、無事に骨になった。親父に宛てた「親父、門屋組は任せとけ!」の私からの手紙も灰になった。いつも愛用していた黒い長財布や緑のいよぎん手帳も灰になった。生前使っていた黄色の取締役会長 門屋 齊の名刺も灰になった。門屋組88年の時に作った親父愛用のベンツと門屋組旧社屋のテレフォンカードも灰になった。娘が必死で取り組んだ八十八ヵ所霊場の納経帳も灰になった。孫たちが入れた花も灰になった。大好きだったひとし自慢の人参焼酎も灰になった・・・。遺骨は7寸の砥部焼骨壺にすべて収めることができ、骨になった親父は愛する母のいる大好きな自宅へと戻ってくることができた。決して忘れられない2024年と2025年の親父との激動物語になったが、今日は親父を偲ぶ一日として物思いにふけたいと思う。
P.S.:お世話になった皆様へ、喪主として心から心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。