TERUHIKO BLOGてるひこブログ

青年会議所

第50回愛媛マラソン(夢は叶う?)

2012-02-06 14:02

 『出走準備は整った』

2月5日(日)、第49回愛媛マラソンから1年の時を経て、ついに第50回愛媛マラソン当日を迎えた・・・。泣いても笑っても今日の15時30分までに結果が出る・・・。前日から興奮して寝れなかった私だが、お父さんお母さんの協力もあり、妻の車で奏来と共に私を城山公園堀之内まで送ってくれた・・・。

城山公園堀之内に到着した時には、白石委員長率いる地域振興委員会によるお接待ブース(いも炊き)の設営は完了していた・・・。4時間後のお接待を想定して、イメージトレーニングを行っているメンバーたち・・・。集合時間である8時30分には、帽子理事長を中心とした円陣が組まれ、本日の大会成功に向けたミーティングが行われたのであった。私自身も次第に緊張感が高まっていった・・・。

ランナーにとって言い訳できない最高のコンディションで迎えた記念すべき節目の第50回愛媛マラソン・・・。城山公園堀之内で準備を整えた愛媛マラソンランナー7352人は、S~Gブロックの8ブロックに分けられ、スタートセレモニーを迎えた・・・。そこでは、愛媛県知事並びに松山市長よりご挨拶が行われ、ランナーたちに向けた言葉が伝えられた・・・。その後、ゲストランナーの紹介が行われ、さらに緊張感が高められた・・・。そして、Qちゃんこと高橋尚子さんによる「夢は叶う!」の掛け声とともに、7352人の思いを一つにした・・・。時計の針が9時30分を指したと同時に、スタートを告げる合図とともに、第50回愛媛マラソンは盛大にその幕を開けたのであった・・・。

スタートを迎えるも、中々前に進まない・・・。最終ブロックであるGブロック宿命である。スタートアーチを潜るまでに18分が経過する・・・。スタート早々には、県庁前にて(社)松山青年会議所応援隊(ブルージャンパー)から、大きな声援を受け取った私たち・・・。自分のペースを守りつつ、森先輩と共に前へ前へと進んでいく・・・。前へ前へと進んでいく私たちに、後ろから大きな声で話している女の人の声が聞こえてきた。聞き耳を立ててみると、「これは何の会社ですかね~トンヤグミさんとでも読むんですかね~」と言っていた。振り向いてみると、なんとそこには高橋尚子さんがいるではないか。ビックリして思わず握手をした私・・・。その後、ハイタッチしながら物凄い勢いで前へと走って行かれたQちゃんだった・・・。そんな珍事件を体験しながら、テンポよく平和通りまで走ることができた。沿道から大声援が聞こえてくる中、今大会から新コースとなった本町通り交差点を西に左折し、中央通りに差し掛かる・・・。その後、中央通り交差点から北へ北環状線に入った・・・。ここから2km北へ上がったところに「門屋社長めざせ!!完走」「松広監査役!!頑張れ」の看板を持ったマル留戦士たちが、マル留社旗を振りながらランナーたちへ大声援を送ってくれていた。大きな大きな勇気をもらった私は、さらに前へ前へと進んでいった・・・。

マル留法被を羽織って走る私に、「おい、門屋組頑張れ!!!」と声を掛けてくれる沿道からの愛ある地域の応援隊の皆さん・・・。愛ある地域からの応援は、心の芯まで浸み渡った。10K地点に到達し、いよいよ北条バイパスにある2つのトンネル越えをしなくてはならない。トンネルに入り、一気に気温と照度が下がった・・・。気持ち的にもテンションが下がってしまう瞬間だ・・・。しかし、「絶対に完走するぞ!!」と心に念じながら、さらに前へと足を進めた・・・。

15K地点に到達した頃、足に痛みを覚えてきた・・・。「何で今なん?」と、昨年では25km地点で起こった痛みが15km地点で誘発した・・・。色んなことを頭に浮かべ気を紛らわそうとしたが、それもまったく効果なく、歩く走るの繰り返しが続いたのであった。そして、あり得ない方向に力が掛かり、突然動けなくなってしまった・・・。急遽道の脇で足を伸ばして応急処置を施したが、腿がまったく言うことを聞いてくれない・・・。しかし、ここで私は改めて「ことばのちから」を認識する・・・。それは、沿道からの声援であった・・・。まったく言うことを聞いてくれなかった足が力を取り戻し、さらに前に足を進めることができたのである・・・。15km地点から22kmの折り返し地点まで駒を進めた・・・。

25km地点に差し掛かった時、後ろの広報車より「ランナーの皆様、ただいまをもってこの関門は封鎖されました。お疲れ様でした。」と伝えられた・・・。この瞬間、第50回愛媛マラソン完走への夢が消え、輸送車への道が決定が余儀なくされた・・・。こうして、3度目の愛媛マラソン挑戦者は、何とも悔しい結果に終わってしまった・・・。応援していただいた皆様、本当に感謝しております。

そんな悔しい思いを胸に、輸送バスで帰ってきた私に待っていたのは、お接待の心に満ち溢れた温かいいも炊きとおもてなしの心であった・・・。(社)松山青年会議所の仲間たちが出迎えてくれて、温かいいも炊きをご馳走になった。そして、ランナー一人ひとりに対し、松山JCメンバーたちはいも炊きを手渡すと同時に、「お疲れ様でした」と声をかけ、拍手で見送るという最高のおもてなしをくれたのである。城山公園堀之内で最高のおもてなしを受けた私は、足を引きずりながら家族の待っている家へと帰宅したのであった・・・。

3度目の挑戦である第50回愛媛マラソンは、悔しい結果に終わりました。しかし、この愛媛マラソンに出場してまた改めて色んな学びと気づきを得ることができました。何事にも「挑戦する気持ち」や「諦めない気持ち」や応援してくれた地域の方々・家族・門屋組のみんなへの「感謝の気持ち」はもちろんのこと、人は努力し続けなければ退化してしまうことであります。来年迎える第51回愛媛マラソンでは、努力して何事にも日々精進して行きたいと思います。応援していただいた皆様、そして最高のおもてなしをしていただいた(社)松山青年会議所の皆様、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。

PS:愛媛マラソン実行委員会の皆様、そして、いも炊きにご協力いただきましたマルグループの皆様、今日一日、大変お世話になりました。今後ともよろしくお願い致します。松広監査役、完走おめでとうございました。

 

 『お接待ブース気合入れ』

城山公園堀之内に到着した時には、白石委員長率いる地域振興委員会によるお接待ブース(いも炊き)の設営は完了していた・・・。4時間後のお接待を想定して、イメージトレーニングを行っているメンバーたち・・・。集合時間である8時30分には、帽子理事長を中心とした円陣が組まれ、本日の大会成功に向けたミーティングが行われたのであった。私自身も次第に緊張感が高まっていった・・・。

 『スタートセレモニー』

ランナーにとって言い訳できない最高のコンディションで迎えた記念すべき節目の第50回愛媛マラソン・・・。城山公園堀之内で準備を整えた愛媛マラソンランナー7352人は、S~Gブロックの8ブロックに分けられ、スタートセレモニーを迎えた・・・。そこでは、愛媛県知事並びに松山市長よりご挨拶が行われ、ランナーたちに向けた言葉が伝えられた・・・。その後、ゲストランナーの紹介が行われ、さらに緊張感が高められた・・・。そして、Qちゃんこと高橋尚子さんによる「夢は叶う!」の掛け声とともに、7352人の思いを一つにした・・・。時計の針が9時30分を指したと同時に、スタートを告げる合図とともに、第50回愛媛マラソンは盛大にその幕を開けたのであった・・・。

 『10Km地点に到達』

マル留法被を羽織って走る私に、「おい、門屋組頑張れ!!!」と声を掛けてくれる沿道からの愛ある地域の応援隊の皆さん・・・。愛ある地域からの応援は、心の芯まで浸み渡った。10K地点に到達し、いよいよ北条バイパスにある2つのトンネル越えをしなくてはならない。トンネルに入り、一気に気温と照度が下がった・・・。気持ち的にもテンションが下がってしまう瞬間だ・・・。しかし、「絶対に完走するぞ!!」と心に念じながら、さらに前へと足を進めた・・・。

 『15km地点に到達』

15K地点に到達した頃、足に痛みを覚えてきた・・・。「何で今なん?」と、昨年では25km地点で起こった痛みが15km地点で誘発した・・・。色んなことを頭に浮かべ気を紛らわそうとしたが、それもまったく効果なく、歩く走るの繰り返しが続いたのであった。そして、あり得ない方向に力が掛かり、突然動けなくなってしまった・・・。急遽道の脇で足を伸ばして応急処置を施したが、腿がまったく言うことを聞いてくれない・・・。しかし、ここで私は改めて「ことばのちから」を認識する・・・。それは、沿道からの声援であった・・・。まったく言うことを聞いてくれなかった足が力を取り戻し、さらに前に足を進めることができたのである・・・。15km地点から22kmの折り返し地点まで駒を進めた・・・。

 『夢が消えた瞬間』

25km地点に差し掛かった時、後ろの広報車より「ランナーの皆様、ただいまをもってこの関門は封鎖されました。お疲れ様でした。」と伝えられた・・・。この瞬間、第50回愛媛マラソン完走への夢が消え、輸送車への道が決定が余儀なくされた・・・。こうして、3度目の愛媛マラソン挑戦者は、何とも悔しい結果に終わってしまった・・・。応援していただいた皆様、本当に感謝しております。

 『輸送車に導かれ・・・』

JA北条選菓場で御用となった私・・・。言い訳として、決してリタイヤではなかったことをここにお誓い申し上げます。

 『お接待ブースに並ぶランナー』

そんな悔しい思いを胸に、輸送バスで帰ってきた私に待っていたのは、お接待の心に満ち溢れた温かいいも炊きとおもてなしの心であった・・・。(社)松山青年会議所の仲間たちが出迎えてくれて、温かいいも炊きをご馳走になった。そして、ランナー一人ひとりに対し、松山JCメンバーたちはいも炊きを手渡すと同時に、「お疲れ様でした」と声をかけ、拍手で見送るという最高のおもてなしをくれたのである。城山公園堀之内で最高のおもてなしを受けた私は、足を引きずりながら家族の待っている家へと帰宅したのであった・・・。