TERUHIKO BLOGてるひこブログ

プライベート

朝の散歩

2009-05-05 11:05

 『松山市立道後中学校』
 朝の散歩をした。小学校、中学校の頃、通学路だった道を歩いてみた。自宅から東の方向に歩いて5分、松山市立道後中学校前を通過した。そして、更に3分東へ歩いていくと、松山市立道後小学校に辿り着いた。昔は9年間もこの道を歩いたのだ。15年間の時を経てこの道を歩くと、何だか不思議な感じが込み上げてくる。ガードレールの上を飛び跳ねたり、ドブ川にいるオタマジャクシを捕まえたり、犬の○○○を踏んでしまった事を思い出した。この道一つ一つに歴史を感じる。
 小学校から更に東へ歩いて行くと、そこには四国八十八ヵ所、第51番石手寺が建っている。この寺は昔から道後の町をずっと見守ってくれている。今日は安産させてもらったご報告にこの寺にやってきた。「無事出産することができました。本当にありがとうございました。」と一礼し、石手寺を後にした。
 たった1時間の朝の散歩で、これだけのドラマが待っていようとは思いもよらなかった。また機会があれば散歩しようと思う。
     

てるひこ

P1000609.jpg 『松山市立道後小学校』

 懐かしい母校の道後小学校裏門です。昔はここに相撲場がありました。

P1000617.jpg 『四国第51番石手寺』

四国八十八ヵ所って何?
 四国には、子どもを亡くした方、家族を亡くした方、リストラに追われた人、不治の病の人、生きる希望を失った人、人生の罪滅ぼしをする人、様々な方がお遍路の巡礼を行っている。巡礼とは、弘法大師の足跡に足を重ねることである。
 生きていてつらくなることはありませんか。逃げ出したい時はありませんか。人に遇いたくない。死にたい。千二百年前、「進退窮まった」と嘆いて四国を放浪した青年がいました。親孝行もできない。出世もできない。青年は四国の石鎚山や室戸崎を歩むうちに、自然と出会い人々と出会って、生きる力を回復していきました。
 起死回生というのでしょうか。困難と痛みは、自然の治癒力と、心ある人々との出会いによって、その痛みがつらければつらいほど、強く生きる力となっていきました。「苦難の谷間は響き力となって、希望の明星が現れた」と弘法大師は記しています。
 その後、四国は「癒しのさと」「再生の場所」となりました。弘法大師の起死回生の跡を辿り、苦しみを癒し、祈りと希望へと変えていく八十八ヵ所の道となりました。
 四国には伝統があります。お接待です。「お遍路さんは弘法大師である」「お遍路さんは困難にめげず修行する尊い方である」として、行脚の食事と宿をお接待します。庄屋の嫡子であろうと乞食の風体であろうと、生まれや経歴は問われません。同じ困難に居て困難を克服せんと修行するものとして、弘法大師と同様にお接待するのです。
 それは、わが身を見つめる眼差しかもしれません。
 何の縁起在ってか、あなたも私もこの世に生を受けました。この世は苦難と喜び、善行と悪行の渦巻くところです。苦難の谷間に光明を得ようと進む姿は、実は自分の姿にほかなりません。ですから、遍路は人と人とが真に出会う所であり、苦難の谷間を通して、共に人生を見つめる処なのです。
 
P1000611.jpg     →      P1000616.jpg 『購入しました』

 ロウソク30円、線香70円、幸福おみくじ200円、合計300円。この線香は体の悪い処に煙をあてると良くなると言われている。私は迷わず頭に煙をあてまくった・・・。
 幸福おみくじの結果は『吉』でした。平凡な生活が出来れば吉。そして平凡な生活は一番難しいとも書かれてあった。これって一体・・・。

P1000619.jpg 『石手寺名物やきもち』

 石手寺名物のやきもちを5つ買った。懐かしいにおいが辺りを漂わしていました。このやきもちの内訳は、親父2個、母親2個、私1個であった。みんなの胃袋に消えていったのである。やきもち達よ、また会おう。