TERUHIKO BLOGてるひこブログ

門屋組

故(門屋 齊)お別れの会

2025-03-07 06:03


『故(門屋 齊)お別れの会』

3月6日(木)、ANAクラウンプラザホテル松山にて、株式会社門屋組・門屋家合同による故(門屋 齊)お別れの会を開催した。2024年12月30日に親父が天寿を全うしてから67日が経った。親父が亡くなってから今日までの間、門屋組本社 七曲りホールの通夜式告別式を経て、二七日法要並びに四十九日法要で極楽浄土へと親父を導いた。67日間の中で、裏では故(門屋 齊)お別れの会に向けて、母と姉、そして門屋組とベルモニー会館様と運命共同体となって、本日の親父のお別れの会に向けて1分1秒無駄にすることなく一切の妥協を排して資料づくり、さらにはパネルや動画の整理等をやってきた。私自身は親父の死以降、門屋組創業115周年を迎える中、1月6日より喪に服すことなく海外は元より県外や関係諸団体の会の参加で門屋組の組長として邁進させてもらった。故(門屋 齊)お別れの会については、私自身がほとんどノータッチという中で、立派にそして誇らしく故(門屋 齊)で埋め尽くす会場に仕上げていただいた。お別れの会委員長の株式会社伊予銀行 取締役会長(大塚 岩男 様)にも見守っていただく中、お別れの会は14時~17時に開場し、門屋 齊を慕う多くの方々のご参列をお迎えすることができたのであった。

P.S.:おかげさまで、故(門屋 齊)お別れの会を無事に執り行うことができました。お足元の悪い中、ご縁とつながり深い多くの皆様にご参列を賜りましたこと、門屋組4代目として喪主として厚く御礼申し上げます。お別れの会の会場を最大限に提供していただきましたANAクラウンプラザホテル松山様、そして最終最後まで見届けてくれた門屋組スタッフの皆様、親父が亡くなって以降献身的に心を寄せていただきましたベルモニー会館様、家族のみんな、笑うのが苦手な親父も天国では大いに微笑んで喜んでくれていることでしょう。親父の94歳の人生に一片の悔いなしと思います。本日をもって、67日間の故(門屋 齊)物語も一旦終結となりますが、これからも残された遺族に対しても変わらぬご厚情を賜りますようよろしくお願い申し上げます。そして門屋組としては、3代目(門屋 齊)の残してくれた意思とイズムを受け継ぎ、地域の発展・繁栄にも寄与していきたいと思いますので、引き続いて変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

 


『入り口の直ぐの看板』

親父のこれまでの経歴が記された看板が入り口を占めた。法被姿の親父をはじめ門屋組役員と共に・・・。


『勲章をもらった記念の時』

勲章をもらった時のスーパーひとしくん・・・。この時は、家族全員が違反をしたらいかんとのことだったので、ピリピリしたことを思い返した。大学生の頃の私はやんちゃ坊主だったので気が気じゃなかったスーパーひとしくんだった。


『本日はお越し頂き有難うございます』

かなり自然な笑顔をしてくれている親父・・・。私は数々のパネルの中で一番この顔が大好きだ。「多くの出逢いに感謝」の言葉の如く、本日お越しいただいた皆様へ感謝の手を振っていた。


『泥酔会で作られた陶芸の数々』

私も幼少の頃よく三浦工業に連れて行ってもらった泥酔会・・・。自身も色んな作品を作らせてもらった。ランチタイム後には、三浦保さんと相撲をしたことを思い返した。親父はいつも酔っぱらっていた記憶がある。


『ひとしのゴルフコーナー』

生涯1億以上はゴルフに使ったと思われるスーパーひとしくん・・・。91歳まで、年齢以上の数のラウンドをこなすエイジラウンドに没頭していた。親父の誕生日には魔法のドライバーとして私からプレゼントしたが、今は髙橋516さんと共にこれからを生きてくれるであろう。これまで、多くの皆様に共にラウンドいただきましたことを親父に成り代わり感謝申し上げます。


『ひとし自慢のにんじん焼酎』

親父の代名詞とも言われるひとし自慢のにんじん焼酎・・・。これまで何万本と購入させていただいたが、健康体で94歳まで生きることができたのもにんじん焼酎のおかげであったと言っても過言ではない・・・・。ラベル一つ一つに歴史を感じるにんじん焼酎なのであった。親父、コレどこに行ってもよー飲んだな。


『門屋組スタッフ一同』

本日、すべての門屋組スタッフがANAクラウンプラザホテル松山に一堂に会した。本気・本音の全社一丸を目指すものとして、親父がこの機会をつくってくれた。親父、みんなで来たぜ。


『親族一同』

2024年12月30日に親父が天寿を全うしてから67日が経ち、親父が亡くなってから今日までの間、門屋組本社 七曲りホールの通夜式告別式を経て、二七日法要並びに四十九日法要で極楽浄土へと親父を導いた。本日、故(門屋 齊)お別れの会で再び親族も全員集合することができた。親父の想いをしっかりと受け継いでいくぜ。


『松山道後ライオンズクラブの魂』

松山道後ライオンズクラブ結成以来のチャーターメンバーである親父・・・。今日はL前原幹事(テッコツマン)が早めに設営に来てくれて、クラブ旗や「ライオンと呼ばるる人」、さらには事務局にあった懐かしい写真を持ってきてくれた。今期の首藤会長の想いを引き継ぎ、次期は私が松山道後ライオンズクラブの会長となる。設立当初の親父の気持ちをしっかりと受け止めて、奉仕活動に寄与していきたいと思う。親父、見よってくれよ。


『笑門会で得た絆』

笑門会でエーシー森田さんとの出会いにより、私が社長しながらJCで全国世界に飛び回っている時に親父が絆を構築してくれた。様々なスーパーひとしくんの似顔絵が描かれた凧やウチワ、そしてシールが展示された。良き思い出です。


『留一郎の刃』

門屋家には代々伝わる刀(←刀にまつわる歴史はこちら)がある。自身が小学生の頃、1年に1回くらい親父がどこかに仕舞っていた刀を取り出し、刀のお手入れ道具でお馴染みの赤ポンポンで鋼部を叩き、半紙でさっと拭き取るのだ。「この刀どないしよう?」と言う親父に、「この刀は代々伝えていこうわい!」と答えた私・・・。脇差も含めた刀4本中、3本は質屋に買い取ってもらい、写真にある上段の軍刀名札付き1本を自身の部屋で預かることにした。下段にある忍者刀は、昔浅草で私が購入した模造刀である。門屋組創業者(門屋 留一郎)の名前と住所まで書かれた名札付きの軍刀・・・。次代が成長し整うまで、4代目の私がしっかりと受け持つことをここに誓う。


『コロナ支援金の寄付』

愛媛県に3000万松山市に3000万のコロナ支援金としてポケットマネーを寄付したスーパーひとしくん・・・。この時の親父は超かっこよかった。俺もいつかそんなことができるように頑張るぜ。


『別れの時』

親父の人生すべてが展示されたパネルの後には、お越しいただいたすべての皆様をお見送りするスーパーひとしくんの姿があった。本日は最後まで有難うございました。皆様方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。天国から見守ってくれていることでしょう。


『お土産のお菓子』

夕日を見つめた私の背中の袋に入った、ひとし自慢のにんじん焼酎を使ったオリジナルお菓子の数々が、土産として振る舞われた。本日はお忙しい中、そしてお足元が悪い中、本当にありがとうございました。


『お別れの会委員長と共に・・・』

開式から閉式までずっとお迎えをしていただいたお別れの会委員長(大塚 岩男 様)・・・。本日は最終最後まで親父のためにご尽力を賜りましたことを感謝申し上げます。これからもよろしくお願い致します。