『キャンディからコロンボへと移動』
2月8日(土)、愛媛県商工会議所連合会 インド海外経済視察(七日目)を迎えた。シギリヤ・ロックの世界遺産、更には街全体が世界遺産のキャンディで神秘的なスリランカを体験することができた私たち・・・。自然と動物が調和するスリランカにかなり首っ丈となった私・・・。特に、間近で触れ合える動物たちに感動を覚えるスリランカの旅となった。赤ワインまつりとなった最後の晩餐から数時間後、名残惜しいが本日日本帰国の時を迎える。1日間お世話になったマハウェリ リーチ ホテルに別れを告げて、専用ハイヤーで約3時間掛かるコロンボへと移動した。こうして、スリランカの代表的な街コロンボで観光を行った後、日本帰国に向けてバンダラナイケ国際空港を目指し、約9時間のフライトで成田空港を目指したのであった。
名残惜しいスリランカに別れを告げて、今日から明日に掛けて約9時間のフライトで成田空港を目指します。また来たいと久々に思えたスリランカでしたが、当初の目的だった親父の弔いも行うことができました。自身の人生の新たな歴史を刻むとともに、大きな自己成長を遂げることができました。明日は松山帰省の一日となりますが、機内でも存分に楽しんで帰りたいと思います。明日へと続く・・・。
『スリランカ最後のモーニング』
スリランカ最後のモーニングは、昨夜の最後の晩餐の余韻がかなり残る名残惜しい感じとなった。レストランのウェイトレスさんも、我々の昨夜の楽しい晩餐が心に残っていたのか、最高の笑顔を見せてくれた。日本とスリランカの親交を深めることができた。
『朝一ホテルからの眺め』
1階の部屋だったが故、眺めは大したことないが、スリランカ最後の朝一ということで、眺めを見納めることにした。モーニング後は、1日お世話になったマハウェリ リーチ ホテルに別れを告げて、専用ハイヤーに乗り込んで本日第一の視察先となるキャンディ内の世界遺産の街にある紅茶工場に向かった。
『セイロンティーの工場視察』
スリランカのキャンディは紅茶栽培のはじまった場所としても知られている。「セイロンティーの父」と呼ばれるジェームス・テイラーが1867年にスリランカで最初の茶園をつくったのがキャンディである。民族衣装のサリーを纏った店員さんに工場を案内していただいた。
『セイロンティー工場視察を終えて』
セイロンティー工場視察を終えて、優雅な紅茶タイムを行った私たち・・・。様々な紅茶の種類の中からO・Pと呼ばれるセイロンティーを黒砂糖をかじりながらいただいた。気に入った紅茶を購入して、再び専用ハイヤーに乗り込んで目的地であるコロンボ地方を目指した。
『コロンボ途中に立ち寄った青果店』
コロンボへと向かっている途中、ガイドさんが突如に立ち寄った青果店・・・。「コレ、食べてみてください!」と手渡されたのは、日本では珍しい赤バナナだった。食べると、美味しいバナナの味が口いっぱいに広がった。次に手渡されたのは黄色のバターバナナで、これも日本では流通していないバナナだった。食べてみると、赤バナナよりもさらに甘さが口いっぱいに広がった。バターバナナ、マジうましだった。最後に熟していなかったガイドさん推しのマンゴーを食べてフィニッシュとした。再び専用ハイヤーはコロンボ地方へと走らせたのであった。
『木にびっしりとぶら下がった巨コウモリ』
コロンボへと再び専用ハイヤーを走らせていると、突然ガイドさんから「あれ見てください!」と指差した方向には、木にびっしりとぶら下がった巨コウモリの群れだった。写真ではわかりにくいが、かなりの数の巨コウモリがぶら下がっていた。
『約3時間掛けてキャンディからコロンボに到着』
ほぼ一車線の道を他の車を追い越しながらコロンボに到着した。約3時間のドライブだった。車と接触しそうな状態が続き、移動時間はかなりストレスを感じた。無事に着いてよかった。
『パラダイス・ロードという名の雑貨屋』
スリランカの総人口2200万人のうち、600万人がコロンボに住んでいるというスリランカで一番巨大な街に辿り着いた。車の混雑具合や人混みもフェーズが変わり、インドのような殺伐とした状態となった。そんな中、パラダイス・ロードという名の雑貨屋さんに訪れたが、我々の感性と雑貨テイストが合わず、トイレだけ借りてみんな直ぐに出ていった。
『コロンボのスーパーで買い物』
コロンボのデカイスーパーに立ち寄り、それぞれが土産を買うことにした。ガイドさん推しのスリランカクッキーをはじめ、セイロンティーに添えられた黒砂糖やスリランカ名産のカシューナッツなど、それぞれ各々が買い物して楽しむことができた。
『ザ・ギャラリーカフェでスリランカ最後のランチタイム』
今回の旅で、腹パンアリーナKINGがかなり魅了されたスリランカの設計士(ジェフリー・バワ)の元オフィスをカフェにしたザ・ギャラクシーカフェでランチタイムとした。スリランカ最後のランチタイムということで、自然と融合するバワ建築が感じられる贅沢空間でアルコールも食事もたくさん進んだ。
『それぞれ推しのメニューをチョイス』
4人共通となるサラダとエビを筆頭に、世界のサカワさんとCATマンはスリランカ黒豚カレー、腹パンアリーナKINGはボロネーゼ、私はハンバーガーをチョイスして、それぞれの推しチョイスでスリランカ最後のランチタイムを楽しんだ。
『スリランカ最後の決戦の時』
ランチタイムをすべて堪能して、スリランカ最後の漢気じゃんけんの時を迎えた。最初に負け男となったのは私で、漢気を発揮することはできなかった。次に負け男となったのは、世界のサカワさんで悔しそうな顔を浮かべていた。最後の決勝戦は腹パンアリーナKINGとCATマンで、見事にCATマンが勝利して漢気を発揮してくれた。これで、私がチェンナイ最初のナイト、世界のサカワさんが前泊成田ナイトとスリランカ2連チャン、腹パンアリーナKINGはスリランカ最後の晩餐で、CATマンはスリランカ最後のランチタイムという4人が均等に漢気を発揮することとなった。後でわかったことだが、スリランカ最後のランチタイムで赤ワインを注文したにも関わらず、白ワインが出てきて引っ込めさせたが、お支払いの伝票には飲んでいない白ワインまで付けられていたのであった。マジヒドス。
『すべての手続きが終わりラウンジへ』
スリランカ最後のランチタイムから専用ハイヤーでバンダラナイケ国際空港を目指した。3日間お世話になった現地ガイド兼専用ハイヤー運転手さんに別れを告げて、チェックインを果たしてラウンジまで辿り着いた。何とも偶然にインド行きのチェンナイへのトランジット時にも活用したまったく同じのラウンジソファーで出発までの2時間30分を活用した。こうして、日を跨いでのスリランカから日本帰国に向けたフライトがはじまった。明日の松山帰省編へと続く・・・。