『この年に卒業することができなかった黒歴史』
先日に発信した卒業アルバムの呪縛(小学校編)、卒業アルバムの呪縛(中学校編)、卒業アルバムの呪縛(高校編)を経て、大学の卒業アルバムも引っ張り出してあの頃を振り返ってみた。入学式終了後に体育館から出た瞬間にラグビー部に入部したな、ピカピカの1年生の時に親から車を買ってもらったにも関わらず事故って廃車にしてしまったな、友達の影響で初の毛染めで金髪や青髪やピンク髪さらにはパーマにも挑戦したが親から勘当されかかったな、卒業間直に人生最大体重の95kgをマークしたな、麻雀とパチンコばかりしていたな、←やり過ぎて1年留年してしまったな、あの頃に遊びまくった友達は元気にしてるかな、・・・など、様々な思いが込み上げてくる。いつなんどき卒業アルバムを見返しても思い出の青春は熱く胸をときめかせてくれるのだ。
話は変わり、大学生だった頃も多くのトラウマが存在する私・・・。愛媛県立松山工業高等学校の建築科の道からさらに日本文理大学の建築学科の道を進んだ私だが、高校の時と同様にまったく建築に興味が湧いてこなかった。日々友達と遊び、煙草を吸いまくり、車を乗り回し、バイトもしないただのボンクラだった若きてるひこ・・・。が、今となってはあの頃じゃないと絶対に出来なかった事として、人生における最大の糧だったと自負している。そして、「もっとやっとけば良かった!」の後悔の念が遅れながらも、現在と未来に向けた向上心へと変貌を遂げたのだ。卒業アルバムの呪縛を払拭するべく、今こそ伝えようと思う。あの頃の失敗こそが生きていく上での原動力となり、今や未来の創造へとつながる!!!
P.S.:親父、お母ちゃん、今こそ恥じずに伝えようと思う。あの大学生活(5年間)は本当に申し訳なかったよ。これからいっぱいことお返しできるよう精進しようわい。
『皮肉にも卒業アルバムには存在』
この年に卒業できなかったが皮肉にも写真は残っているという若きてるひこ・・・。カメラを向けられると笑顔が作れなかったというのも今になってわかる。自分に自信がなかったのだ。パーマ当てて、メッシュ入れて粋がっていたこの頃の記憶は今すぐ消し去りたいと思うが、この頃があっての今があると前向きに考えることにしよう。
『ラグビー部の仲間たち』
懐かしい文理大ギャグビー部のの者たちと共に・・・。入部当初の記憶から、様々なアホなエピソードも今となっては最高の思い出。お蔵入りしなくてはならないことも数々と・・・。コロナが収束したらまた会おうぜ。