『スコアブックと共に過ごした青春時代』
今年の1月、インドネシアの地を謳歌してた時、中学の時の恩師(田坂 文明 先生←現在は松山市立鴨川中学校 校長)が門屋組に訪れ、手紙と名刺と共に一つのスコアブックを持ってこられた。私は何を隠そう(←隠してもしょうもないが)、中学生の3年間を野球部で活動し、3年間バッターボックスに一度も立つことなく、スコアラーとして過ごした経験がある。いわゆるマネージャーだ。忘れられないのが、野球部に入って間もない時、3年生最後の総体を迎えるにあたり、20名ほど存在した1年生部員の中からの3名ベンチ入りするとのことで、田坂監督から3名の名前を呼ばれた。その3名の中に、なんと私がいるではないか。名前が飛び出した瞬間、まわりがどよめいたのを今でも鮮明に記憶している。呼ばれた3名に向けて田坂監督は、「おい多田、大崎、明日グローブ忘れるなよ!」「門屋、筆箱持って来いよ!」。えっ。一瞬、スタープラチナ・ザ・ワールドで時を止められたかの如く、3秒ほど時が止まった。この時より、背番号18番のスコアラーが誕生したのであった。
野球経験のなかった私に、先輩からの「門屋、野球部入れや!」の一言から中学野球部人生がはじまった。3年間、マネージャー役を務めあげた成果として、先輩にも後輩にも可愛がられ、大きな大きな徳と現代社会で失われつつある忍耐・根性を積み上げることができた3年間だった。30年越しのタイムカプセルではないが、何でも田坂先生の自宅の屋根裏部屋のダンボール箱から一冊のスコアブックが出てきたとの事・・・。一生の思い出となるスコアブックを門屋組まで届けていただいたことに感謝するとともに、田坂先生からの本気・本音でしたためられた手紙をこれからの人生の糧にします。田坂先生、中学生活の3年間、本当にお世話になりました。僕もこれから挑戦し続けて、益々右肩上がりに大きくなっていきたいと思います。
P.S.:道中野球部の諸君、自身のあの時あの瞬間が見たかったらまた俺に連絡して頂戴。
『道後中vs津田中戦』
一人ひとりのスターティングメンバー。誰が何をしてどうなったかがすべて記載されているスコアブック。三者凡退の時が一番楽だったので、今でこそ言うが「早く終わってくれ~!」と相手のピッチャーを応援したこともあった。味方の猛打戦になったら嬉しいやら悲しいやら・・・。ここにすべての事が記録されている。WBCも盛り上がってるぜ。日本、ばんざーい!!!
『一生の宝物(先生からの手紙)』
一生の思い出となるスコアブックを門屋組まで届けていただいたことに感謝するとともに、田坂先生からの本気・本音でしたためられた手紙をこれからの人生の糧にします。田坂先生、中学生活の3年間、本当にお世話になりました。僕もこれから挑戦し続けて、益々右肩上がりに大きくなっていきたいと思います。
『両手でしっかりと持ったスコアブック』
思い返せば3年間、ずっとこのスコアブックを握りしめていたと思う。今となっては、最高のスコアラー人生でした。