TERUHIKO BLOGてるひこブログ

イッパチ会

イッパチ会東予支部例会(別子銅山巡り)

2011-03-20 22:03

 『B・Uバスに乗り込んで・・・』

 3月19日(土)、新居浜の地にて、イッパチ会東予支部例会が開催された。2011年度1月に輝かしい総会を経て、星加会長(3代目)から盛重副会長へイッパチバトンが受け渡され、盛重新会長(4代目)が誕生した・・・。それから2ヵ月の時を経て、本日は東日本大震災の情報交換・救援物資・義援金徴収と、少しでも西日本から被災地へ元気を送るというコンセプトの下、イッパチ会東予支部例会が開催する運びとなった・・・。(東予・中予・南予・県外)支部のイッパチ会メンバーは、義援金と救援物資を持ち寄り、リーガロイヤルホテル新居浜へ集結したのであった・・・。そして、イッパチ会東予支部メンバープレゼンツによる別子銅山巡りが幕を開けた・・・。
 B・Uバスに乗り込んだ私たちは、まずはじめに、新居浜市「広瀬歴史記念館」へと訪れた。ここで新居浜の原点とも云われる、住友家初代総理人である広瀬 宰平(ひろせ さいへい)のこれまでの歴史が明らかとなった・・・。ガイドさんから、平成9年にオープンした広瀬歴史記念館→明治10年に竣工した旧広瀬邸の母屋→明治22年に増築した新座敷と庭園に案内され、明治中期の大規模和風住宅の姿を目の当たりにしたのであった・・・。
 住友グループの基礎を確立した広瀬 宰平の歴史と、今から134年前の旧広瀬邸の母屋と新座敷を見学した私たちは、次の巡回場所であるマイントピア別子・東平ゾーンにバスを走らせたのであった・・・。
 最近開通したループ橋、別子ラインを経由して30分、東洋のマチュピチュと言われる東平ゾーンに到着した。そこは、下の街とは5度ほど違う(雪が残っていた)、あかがねの歴史と文化が息づく「森になった街」が広がっていた・・・。220段の長大階段の旧インクライン→重厚な花崗岩造りの東平貯鉱庫跡→東平歴史資料館→東平にゆかりのある鉱山運搬機器展示場である小マンプ(トンネル)の順に、森になった街を散策したのである・・・。こうして、東洋のマチュピチュである東平ゾーンを堪能した私たちは、またマイントピア別子にバスを走らせ、イッパチ会東予支部メンバープレゼンツによる別子銅山巡りは幕を閉じたのであった・・・。
 本日はイッパチ会東予支部例会に参加させていただきまして、誠にありがとうございました。東日本大震災の情報交換・救援物資・義援金徴収と、少しでも西日本から被災地へ元気を送るというコンセプトの下、イッパチ会東予支部例会が開催する運びとなった本日。心温かな義援金、想いの詰まった救援物資が、イッパチ会のメンバーによって集められました。仲間と手と手を取り合い、被災地の方々が少しでも元気になり、少しでも笑顔が取り戻せるように、微力ながら大きな希望(エール)を送り続けたいと強く思っております。本例会開催にあたり、盛重会長をはじめとするイッパチ会メンバーの皆様に大変お世話になりましたこと、この場をお借りしまして心からの感謝申し上げます。本日は誠にありがとうございました。
 PS:イッパチ会東予支部メンバーの皆様、大変お世話になりました。文野事務局、私たちの為にバスのチャーターから夕食の段取りをしていただき、本当にありがとうございました。

 『別子銅山巡りの序章』

 リーガロイヤルホテル新居浜から新居浜市「広瀬歴史記念館」に訪れた私たち・・・。イッパチ会東予支部メンバープレゼンツによる別子銅山巡りが幕を開けた・・・。

 『広瀬宰平銅像を横目に・・・』

 「広瀬歴史記念館」の門を潜ると、そこには住友家初代総理人である広瀬宰平銅像が建っていました。平成15年(2003年)3月に、高村光雲の原型木型を用いて、東京美術大学の手で復元されたそうです。

 『広瀬家の道標が明らかに・・・』

 新居浜の原点とも云われる、住友家初代総理人である広瀬 宰平(ひろせ さいへい)のこれまでの歴史が明らかとなった・・・。

 『広瀬記念邸』

 ガイドさんから、平成9年にオープンした広瀬歴史記念館→明治10年に竣工した旧広瀬邸の母屋→明治22年に増築した新座敷と庭園に案内され、明治中期の大規模和風住宅の姿を目の当たりにしたのであった・・・。

 『広瀬邸母屋と新座敷の境目(エキスパン)』

 明治10年に竣工した旧広瀬邸の母屋と、明治22年に増築した新座敷の境目(エキスパン)がありました。そこには10cmほどの段差が存在していました。日野副会長は一体何を撮影しているのだろうか・・・?気になります・・・。

 『その当時のままの台所』

 その当時のままの台所に、「おお~」と声を上げた私たち・・・。ご飯を保温する籠を、私は初めて拝見しました。

 『1階居間での一時・・・』

 歩き疲れた私たちは、休憩がてら正座してガイドさんからの説明を聞きました。見るもの見るものすべてに興味が湧いてくるイッパチメンバーであった・・・。

 『2階へ客室へ案内される・・・』

 ギシッギシッと音を立てながら階段を上がった2階は、窓から絶景が広がっていた・・・↓ ↓ ↓

 『窓から見渡せる絶景』

 新居浜の街をすべて見渡せる絶景が広がっていた。当時もこのように見ていたのかもしれないな・・・。

 『イタリア製の様式トイレが設置』

 2階の各部屋を散策すると、一つの空間に様式のトイレが設置されていました。木製の便座とカバーに、「これすごーい!」と声を上げていました。これを造ったイタリアメーカーは、ガイドさん情報によると、今でも存在するそうです・・・。

 『新座敷で説明を受ける』

 住友グループの基礎を確立した広瀬 宰平の歴史と、今から134年前の旧広瀬邸の母屋と新座敷を見学した私たちは、次の巡回場所であるマイントピア別子・東平ゾーンにバスを走らせたのであった・・・。

 『東平ゾーンに到着』

 最近開通したループ橋、別子ラインを経由して30分、東洋のマチュピチュと言われる東平ゾーンに到着した。そこは、下の街とは5度ほど違う(雪が残っていた)、あかがねの歴史と文化が息づく「森になった街」が広がっていた・・・。

 『旧インクラインの階段を下りて・・・』

 220段の長大階段の旧インクラインの階段を下りることに・・・。スーツに革靴だった私は、動きにくさと足元の悪さにいら立ちを感じていた・・・。文野事務局からの通達を見ていなかった私は、この場違いの格好に後悔するばかりであった・・・。

 『東平貯鉱庫跡』

 旧インクラインの階段を下りたそこには、重厚な花崗岩造りの東平貯鉱庫跡が存在した。「ここからの眺めが最高なんです」と、ガイドさんは私たちに言った・・・。

 『話題の人気スポット』

 東洋のマチュピチュと言われるこの話題の人気スポットは、映画のロケ地にもなったとされている。神野さんは俳優になった気分なのであろうか・・・?いい感じです・・・。

 『東平歴史資料館』

 あかがねの歴史と文化を伝える、模型やその当時使われていた道具などが展示されていた。

 『30kgある荷物を背負う』

 当時の人たちが30kgある荷物を背負っていたとして、これを体験させてくれるコーナーがありました。これを背負う神野さんは「あーうー」と声を張り上げていました。かなり重たかったみたいです・・・。

 『鉱山運搬機器展示場である小マンプ』

 東平にゆかりのある鉱山運搬機器展示場である小マンプ(トンネル)の説明を聞きました。こうして、東洋のマチュピチュである東平ゾーンを堪能した私たちは、またマイントピア別子にバスを走らせ、イッパチ会東予支部メンバープレゼンツによる別子銅山巡りは幕を閉じたのであった・・・。

 『東日本大震災の情報共有』

 ビア&ビュッフェ レストラン「B・U」にて、本日の別子銅山巡りのミーティングと東日本大震災の情報共有を行いました。東日本大震災の情報交換・救援物資・義援金徴収と、少しでも西日本から被災地へ元気を送るというコンセプトの下、イッパチ会東予支部例会が開催する運びとなった本日。心温かな義援金、想いの詰まった救援物資が、イッパチ会のメンバーによって集められました。仲間と手と手を取り合い、被災地の方々が少しでも元気になり、少しでも笑顔が取り戻せるように、微力ながら大きな希望(エール)を送り続けたいと強く思っております。本例会開催にあたり、盛重会長をはじめとするイッパチ会メンバーの皆様に大変お世話になりましたこと、この場をお借りしまして心からの感謝申し上げます。本日は誠にありがとうございました。