『お遍路さんの道しるべ』
先日の事、吉藤地区の皆さんが訪れて「吉藤村の遍路地蔵が50年ぶりに見つかったので、是非、七曲り跡地でもあるここに設置させてほしい!」と・・・。間髪入れずに「どうぞ、どうぞ、なんでも使ってください!」と、その時は何気なく返答したものの2019年12月10日(火)の愛媛新聞4面を見て、吉藤村の歴史と人から人へとつながってきた縁の深さを痛感した私・・・。この場所は、江戸時代に松山城主の加藤嘉明が敵を防ぐため7ヵ所の曲がった道を造り、「七曲街道」として知られていた。齊会長からも「わしはこの七曲街道を通って学校にも行きよった。」と、戦後生き抜いてきた方々にとって、今ではすっかり変わり果ててしまったが、はっきりと脳裏に刻まれているようだ。
50年ぶりの帰郷となった遍路地蔵様は、これからも七曲り跡地で行き行く人々やお遍路さんを見守り続けていくとともに、吉藤の地域を光り輝かしてくれる大きな存在となるように門屋組一同、見守り続けていくことをお誓い申し上げます。おかえりなさい、遍路地蔵様!!!
『吉藤を見守り続ける遍路地蔵』
12月9日に移設された遍路地蔵様・・・。これからも七曲り跡地で行き行く人々やお遍路さんを見守り続けていくとともに、吉藤の地域を光り輝かしてくれる大きな存在となるように門屋組一同、見守り続けていくことをお誓い申し上げます。今度はどこにも行かないでね!!!